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There is No Finish Line ~3 走りながら一番感じていた事 [コミュニティ]

身体を動かす。これほど幸せな事はない。知らない身体の動きに出会いたい!!
Project tswrokingは、歩く事を介して身体を動かす事の可能性のお手伝いを致します!!
機械の指示で動くのではなく、自分の意識で身体を動かしましょう!!
詳しい事は、http://tsworking.blog.so-net.ne.jp/2011-03-09をご覧下さいね。

今晩は

三浦国際市民マラソンので一番感じた事を記せないまま、と言うのか記せなかったまま
今日まで来てしまいましたが、何とか書くタイミングを見いだせたので、記します。

昨年の今頃は自分自身もの凄くしんどい時期でもありましたし、2月の末に父が退院する迄
してからも走る暇さえ無かった本当に落ち着かない時期でした。
ブログである意味目的外の事を記させて頂きながら、平静を保っていたのかも知れないと
思ったりもする位しんどい時期でした。
それでも三浦のハーフ出たい、何とか・・・と思ってはいました。
ので、昨年の10/4 0時ネット受付開始となってすぐ申込をし、トレーニングを重ねるも、
風邪騒動・・・・。
今回スタートラインに立てた事が本当にありがたくて、ありがたくて・・・。
うれしくて仕方がなかったのでした。

そして、三浦国際市民マラソンが一押しで大好きなレースでもある理由でもある、
三浦市の皆様のあったかな気持ち。
ハッキリ言えば、三浦市内の生活道路を12時迄封鎖して走らせて頂いている。
もう29回も続いていますから、当たり前みたいな、風物詩みたいな感じで根付いてはいるので
しょうけど、玄関先に椅子を置いて応援して下さる地域のお祖父様・お祖母様、子供達、
年々市民ボランティアの人数が増えている等、本当に三浦の皆さんがこのマラソンを大切に
して下さっている、もちろん観光収入等にもつながるから、何でしょうけど、純粋にこの機会を
大切にして下さっている。
そのハートの温かさが伝わってくるのです。
三浦以外で3レース出ていますが、この暖かさを他で感じた事はありません。
だから三浦は止められない。本当に大好きなレースです。

子供の声援が聞こえた時、大きくなったら一緒に走ろうねと心でつぶやいていました。
本当に身体を動かす事は楽しい、だけどその環境を支える力があって成立している。
本当にそう思いました。

今回のレースは本当につくづくありがたいと感じながら走らせて頂きました。
そんな事もあったのでしょうか、不思議な事に翌日以降きつい筋肉痛に襲われる事無く平和に
過ごす事が出来ました。
こんな状況下ですが、来年もまたこの暖かな雰囲気の中タイム短縮目指して挑戦したいと思います。
+出られたら、横浜マラソンも挑戦したいですね。

通信インフラ [コミュニティ]

今晩は

奄美も大分落ち着いた様ですね。良かったです。
父と通信障害の話をしたのですが、結局は電源が届かない事にはどうしょうもない。
携帯が当たり前の時代ですが、携帯の基地局には実はケーブルがつながっていて、
従来の電話線に接続されています。
この電話線が単に切れたなら、直せばいい。
でも、奄美の場合はもっと複雑でしょう。
電話局は災害に対応出来る様、特に交換機は水につからないように設計されている
そうです。だからあれだけの建物になってしまうと。
そして、今は無人で運用できるようになってしまいましたが、かつては人の力が
必要だった、と話してくれました。
実際電話局の建物って巨大です。それに、建物の内部の部屋が活用されないんじゃぁ
無駄だと思ってもいました。
確かにその辺は考慮する必要はありますが、実は必要な設備だと言う事なんでしょうね。

電話だけで考えれば、20年位まで前は有線の電話が当たり前でした。
だから、交換機や有線のインフラは維持して当たり前だった。
が、今は無視されている・・・。
と言うよりも、実は携帯の電波は最終的には有線ルートを介して、携帯基地局から電波
になるか、有線網で接続されるかのどちらかであるかと言う事をどれだけ知られているか?
と言う事になるのかも知れませんが・・・・。
たまたま私は家族の力で知る事が出来た、幸運があるのですが。

郵政民営化が記憶に新しい所なんですが、一応そう言う家族なので電電公社の民営化
は見てきました。
だから、つくづく思うのです。
進んだ技術には、その基礎になっている過去の技術があり、インフラがある。
従って、現代の通信インフラを維持する為の基礎は、規模の大きさは時代で変われど、
変わっていない様に思うのです。
これは郵便の配達システムも同じです。
それを誰が維持するのか?問題が一番大きい所だと思います。

個人的には安易な民営化は違うのではないかと思っています。
インフラの基礎は、国をはじめとした行政の責任で管理し、その運用をゆだねると言う考え
方がベターだと思っています。

皆様はどうお考えでしょうか?

コミュニティを考える その1 コミュニティの定義をもう一度振り返る [コミュニティ]

今晩は

大学時代の主専攻は、スポーツ社会学・経営学とりわけ地域・コミュニティ関連でした。
元々生涯スポーツ活動を介した地域の振興発展を生業としたくて苦労した(今でもですが)
身ですので、今でも時間があるとそう言った論文を手に取る事もあります。
つい最近この問題について深く考えたことがありましたので、父の騒動が完結していませ
んが(と言うよりも、なかなか書きづらい)記す作業を始めます。

コミュニティと言うと、社会学的な定義で言えば、一定地域の住民がその地域の風土的個
性を背景にして、共同体に対しての帰属意識を持ち、政治的自立性と文化的独自性を追求
する事とされています。(有斐閣 社会学辞典より 一部編集)
つまりは、古典的には地域社会を指し示すと言えます。
が、今の時代それだけでは成立しにくくなっているとも言えるのではないでしょうか?

例えばです。
バドミントンのサークルがあります。練習会場は学校開放であったり、スポーツセンターで
あったりと一定ではありません。もちろん役員は基本的には一定にしようと努力はします。
そうやって活動してゆく中で、人がだんだん集まってきます。そうやって、一つの集団が
形成され、維持されてゆく。
当然ながら、チームとしての帰属意識や一定の規範等が成立してゆきます。
それも不文律的な形で。
地域コミュニティの帰属意識や一定の規範も、考えれば不文律的に成立しているわけです。
そう考えると、コミュニティを地域問題(とりわけ居住地域問題)として捕らえるのは、段々時
代に合わなくなっているのではないかと考えています。

なので、コミュニティ問題を考える時、私は地域の枠を超えた同じ関心の縁で成立した集団
対しても適応すべきではないか、そこから地域にアプローチする事も一つではないかと考え
ています。

古典的コミュニティが地域縁主体なら、現代のコミュニティは関心縁と地域縁両方を包括して
いるとも言えるのでしょうか。
とは言え、地域縁に関しては段々弱くなっているとも考えています。

そうやって考えてゆくと、コミュニティと言う言葉も色々な定義が見えて来るように思います。
ソネブロも一つのコミュニティとして考える事も可能なのかも知れませんね。

ご意見を頂けるとうれしいです。


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