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収まらない怒り、納めなければならない怒り 1 振り返りながら [収まらない怒り、納めなければならない怒り]

こんにちは

ここの所荒れ気味の記事ばかりで大変失礼いたしました。
大分落ち着いては来ましたが、まだまだです。

今の私の一番の問題は、社会不適応症(←専門用語ではありません。)
故に、努力しても、努力しても、煮え湯を飲んで泣いているいる私を見て、あきれながらも
「もったいない」と先輩に言われている状態のまま、ここまで来ました。
だけど、その状態は正直な所、子供時代に始まっているのです。

その症状の始まりは、友達が出来ないと言う事でしょうか?
子供の頃は、何故そうなるのか理解できない物です。
だけど、私の場合「べき論」者になっていたのでしょう。既にそうやって自分を縛っていたと
思います。
もちろん、社会の問題を子供なりに見て、ルールを守らないのが行けないんだって思って
いましたから、突っ張りや先生に反発する奴が大嫌いでしたし、そう言う奴らにいじめを受
けてもいました。
制服は最初、母から丈が長くて邪魔じゃないか?と提案を受けて、少し短くしてもらったら
「短いんじゃないの(あんた生意気!!)」と上級生に言われ、やばい校則は遵守すべき
物と理解して、慌てて直してもらい、それ以降はがちがちに守ってきましたが、先生方は
・・・・でしたし、・・・でした。
中学校時代はそれでも、理解してくれる人達だったのでまだ良かったかなぁとは思います
が・・・。
高校行くとそうでもない。
学力の高低というのは、ある種の柔軟性を見ているのかなと思います。
ちょっと話がそれますが、公務員試験や入社試験の問題はあんまりにもへんてこりんとも
言える問題が多数出ると思います。特に数的推理と言われる分野は。
(経験のある方ならおわかりになると思います)
実際問題、公務員試験は受け続けてきたので、理解は出来るのですが、今対応しろと言わ
れたら方法を忘れているので、又一からやり直しです。
その問題である、数的推理というのは通り一辺倒の公式やテクニックだけでは、正答はむり
です。そこでの柔軟性、応用力が問われていると言う事なんでしょう。
そこで、その人を見ていると言う見方も出来ると思います。
実は、私、大の苦手です。

つまり、役割論や、ルールに縛られている事柄以外は、どうしたら良いかパニックになると言う
のが本音です。
そして、自分の答えが出ている所では、その答えで一気に行ってしまう。
ものすごい落差だけど、それが今の私であり、社会から見てつきあいきれなかったり、干され
たりする原因なのでしょう。

でも、それが許せず、怒りが収まらない事につながっていきます。
話していても、どうしても伝えたい事が伝わらなく、上手く話がまとまる時、そう言う時程、後々
怒りがわき上がってくる。
だけど、相手も同じなのかも知れない。
それでも、許せないのです。
正論を言っているのだから、従えと。そう言う意識が主になっているからです。
こういうときは、相手にもニーズがある事を学べとビジョン心理学では言うのですが、理解しても
感情が許さないと言うのが本音です

今もそうですが、ある意味運命を呪っている自分もいます。
生まれてきたことその物に怒りを持っている自分もいます。

見ていて切ないに出てきた男の子は、ある意味では私の子供時代の写し鏡の様でした。
本当は、この辺を先ずはと思ったのですが、先に男の子事を書かせて頂きました。

まだまだ、この辺は色々とわき上がっています。
もしお許しを頂けるのでしたら、しばらくおつきあい下さい。
よろしくお願い申し上げます。
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